納豆かチーズ

My Life Between Silicon Valley and Japanで、是非読んでみてほしいとあった、圏外からのひとことWEB2.0サイト = 発酵食品説』(参照)を読む。
このあたりはMy Life・・・『Web 2.0=発酵食品説』(参照)で上手にまとめてくれているので、私がうだうだコメントすることもない。

「囲い込まれた情報が金銭的な価値を生む」ということ自身がいずれ「幻想」になるかもしれないと頭ではわかっても、いま情報を囲い込むことで金銭的価値を生み出している主体は、

アイディアが自由に流通し、囲いこみができない世界は、無菌室の中で育った人には、とてもなじめるものではない。

これはこれで考えさせられるわけだが、圏外からのひとことの同日のエントリー『構造計算書公開=オープンソースマンション』も考えさせられる。

構造計算書のデータと現場写真のWEB公開を義務づければいいと思う。そうすれば、安すぎる怪しい物件は同業者が自費で検査する。問題を見つければ、それをネタにしてむこうの客を奪い取れるんだから、検査会社よりよほど一生懸命調べてアラ探しするでしょう。データ上は辻褄があっていても、実物と一致しないなんてことも絶対見逃さない。
別に義務づけなくても、公開する会社がいくつか出てきて、公開する会社と公開できない会社を消費者が選択できるようになればいい。それでも、ソースが公開されてない物件を買う人は自己責任ということで。

アメリカではホームセンターが発達してDIYも盛んなので、消費者が建材の流通価格をよく知っているとのこと。そのためホームビルダーの見積もりは大きく材料費と手間代の2項に分けられていて、材料の仕入れ価格がそのまま載っていると聞く。2×4の材料の拾いリストが付いたプラン集が普通にだれでも入手できるので、拾いに関してもオープンだ。手間のほうも職人のギルドが発達していて専門分野とスキル標準がはっきりしているので、どれくらいのスキルの人間が何人くらい見積もられているか一目両全。ビルダーは監督料をいただいて利益になる。オープンだと思う。
日経ビジネスEXPRESS 谷島 宣之の経営の情識『電子カルテが“システム”になっていない裏事情』(メンバーサイト)でも似た印象を受けた。

▼コードによる「透明化」は病院にとって脅威
「システムを作る時、コード体系の標準化は必須と思いますが、なぜそうしないのですか」とその社長に問うと、「大声では言えないが、事実上、医師会が反対しているから」と答えた。(中略)
その社長はこうも言った。「コード体系を統一し、各病院のデータを集約・分析できるようになると強烈な効果が出る。ある病名について検索すれば、各病院で何人治療して何人治ったかをガラス張りにできるから。つまり病院ごとに治癒率が分かってしまう。病院が反対するのは当然と言えなくもない」。

囲い込まれた情報が金銭的な価値を生む状況なのだ。
建築も同様だろう。USほどにはならないにせよ、オープンにしていくべきだ。
手抜き工事を回避するために一部で第三者評価機関を利用する人も少しづつだが増えてきている。もっとそういう人が増えればいい。本来なら施主が施工元と監査機関とそれぞれ契約するのが望ましい。施工元が監査機関を指名するとグルなのではないかという疑いはぬぐいきれないかもしれない。施主が監査機関としかるべき契約をして施工業者を監督・監査するのがよいのだが、ちゃんと施工監査すると30〜40万円くらいはかかる。地盤改良の段階から竣工まで10工程以上の過程でちゃんとした技術者を現場に派遣しないとならないからだ。
しかしあるアンケートによれば第三者機関を利用するのは賛成だけど3万円から5万円くらいの費用ならと思っている人が多いらしい。残念なことに40万円出すならキッチンなどの設備をワングレード上げようと思うみたいだ。囲い込まれていても看板の大きさで安心してしまうのがまだ現実なんだろう。目に見えることだけがすべてと思ってしまうのも現実だ。