あちらとこちらを仕切る壁

日曜日にたまたまテレビのチャンネルを回していたらサンデープロジェクト田原総一郎が「ウェブ進化論」を手にしてしゃべっているところだった。田原総一郎はあまり好きではないのでサンデープロジェクトも好きではない。ここでも「ウェブ進化論」か、くらいの印象でおわった。
後日、My Life Between Silicon Valley and Japan『サンデープロジェクト』(参照)のエントリーとか書き込まれたコメントを見て、ふーむ、あれはやっぱりピントがずれていたんだなぁと思う。
引用の引用だけど

向こう側かこっち側かの区別なんかない、大事なのは顧客の支持を得ことのできる会社かどうかだけだと発言していたのも説得力がありました。

たしかにそうなんだけど、こういう発想はコンピュータもインターネットもツールとしかみていないから出てくるのかなぁと思ったりする。
僕がなんだかすごいなぁと感じるのは顧客の支持を得るとかそういうことじゃないように思うんだよな。顧客の支持を得るのは商売する上で当たり前じゃないか。
人材というリソースをリアルに抱えていないとならなかった時から、今は多様な働き方といわれるように──それって単に雇用形態なんだけど──それでも"正社員"としてかかえていなくてもよくなってきている。
森岡正博さんによる書評』(参照)をたどってみると、

第二世代のインターネットは、商売に大転換を引き起こすだけではない。それよりももっと根本的なのは、見知らぬ者たちが共同して、ネットの世界に「知の宝庫」を作り出せるようになることである、と梅田さんは考える。

というあたりが、そうだよなぁと思うのだが、純粋なツールとしかみていないと見落としてしまう点ではないだろうか。人材が重要なのは理解できるし、目にも映るし、大切な経営資源であることには間違いない。数年前に流行ったナレッジ・マネジメントみたいなもの、暗黙知は見えないものだし人材とダブっているから、人材にしかフォーカスできないと思うけど、ヒトの内側だったり、ヒトとヒトの間だったり、見えない暗黙知がヒトから切り離されて形になったものがgoogleともいえるのかなぁと思ったりする。人脈が価値を持っている、その可能性が広がってきていると感じるのだが、まさしく

ウェブ進化論』で言うと、チープ革命の波を受けて右往左往するテレビという印象で、Web1.0の人たちが集まって見えないWeb2.0を前にうろたえている構図であり、このようなことがさまざまな局面で露呈してくることが予想されます。

で、ヒトとヒトの間には目に映るものがないじゃないか、触れないじゃないかと思っていると、googleの結果も光源が像をむすんでいる単なるモニタの中身にしか写らないのかな。
最近、『超バカの壁新潮新書:養老 孟司を読み始めていて、Web1.0と2.0というよりも、あちら側とこちら側はバカの壁でしきられているのだろうか、と考える。Life is beautifulGoogle OS を妄想すると未来が見えてくる!?』(参照)にあるビルゲイツの失敗も、そうなるとバカの壁だったのか?とかね。