SNSについて・・・パソコンの利用規定検討の続き

My Life Between Silicon Valley and Japan『「次の十年」のキャリア構築と「個のエンパワーメント」』(参照)をみてSNSについておもう。

そしてこうした若者文化は、米国企業の仕事の仕方や組織のあり方を、今後大きく変えていく可能性が強い。よって、「個」にとってのネットワークの重要性が、さらに増してくる。当然のことながらSNSをはじめとする道具は道具にすぎず、その道具を使いこなして、いかに自分にとって「真に価値あるネットワーク」を構築し、維持し続けることができるかがキャリア構築の鍵を握る時代がやってくるはずだ。

これからは「個」の時代になろうし「個」のコミュニケーション能力が問われるようになるだろうと思う。
ネットワークが発達すれば地域をはじめとするリアルな場でなくてもよいわけだから、会社なんてものに帰属する意識は今よりももっと薄く、囚われなくなるに違いない。そして、これから入社してくる連中はSNSがない世界なんて考えられないような環境で育ってくるに違いない。
同じく『アメリカの大学生のネットワーキングの凄さ』(参照)から引く。

昨日の午後、大学生を子供に持つ同世代の友人と話をしていたら、アメリカのいまの若者たちは、そのことを明確に意識して、高校時代の友人たち、大学で全米に散った友人たちのそれぞれの先でできる友人たち、大学の友人たち、大学を卒業して全世界に散った友人たち、そしてまたその先でできるグローバル・ネットワーク・・・・・、そういうネットワーク全体を「自分の財産」として蓄積し、きちんと丁寧に日々メンテナンスしていこうときわめて意識的だというのである。

考えれば考えるほど、SNSとかツールを制限するような利用規定は役に立たないだろうな(参照)。それこそ、その人の友達を信用できるか、その人の持つネットワークを信用できるか、つまりその人本人の信用にかかってくるわけだ。頭で考えると、信頼しているその人が信頼する友達は信頼できるかもしれない。けど、その友達の友達と意気投合できるかといえばそうでないこともあるし、クソくらえってこともある。それはリアルな世界でもバーチャルな世界でも同じだろう...
つまり、社内規定に「友達を選べ」とは規定しないように、SNS利用について規定する必要もないってことか。
「超バカの壁新潮新書:養老 孟司 (著)に、モラルは行動とあった。うむ、道徳規定が必要なのかいな?